工具・デザイン・材料
工具
下門さんは多くの道具や電動工具を持っていますが、彼の作ったサバニのほとんどは1960年代中程に電動工具が島にやってくる以前に作られたものです。下門さんは誇らしげに彼のチョウナを見せてくれました。それはアメリカ軍の古い軍用車の板バネで作られたもので、彼はこの道具だけで木を削りサバニを作る仕事の多くをこなして来ました。それは刃の後ろに錘りを付けて弾みが付くように改造してありました。伝統的な日本のチョウナは曲がった柄を刃の後ろにある差し込み口に通して使います。下門さんのチョウナは西洋の物のように刃が直角に付けてあります。彼はまた、表面の仕上げに使う平ガンナや丸ガンナなど、多くの種類のカンナを持っています。
卒中を煩ったせいで下門さんは両手で巧く道具を使うことができません。いまでは多くを手持ちの電気カンナと、サンディングのディスクが付いていて荒削りにも仕上げにも使えるディスクグラインダー(下門さんはサンダーと呼んでいますが)に頼っています。下門さんは小柄な人です。でもハンドツールも電動工具もただ右手だけで使いこなします。一緒に仕事をして、彼の粘りと、忍耐、才能は本当に驚異でした。これらの道具で表面をほとんど完全に仕上げていく彼の技術には驚かされました。
電気チェーンソウや大径の丸鋸のような幾つかの大きな道具は彼の息子の富雄さんと私が使いました。富雄さんは仕事の最初の部分で船材を削り込む時と、後で珊瑚の錨を作る時にエアーの鑿を用いました。また私たちは、二台あるバンドソウの一つと、テーブルソウと角出しカンナとプレーナーを時折使いました。
下門さんは差し金や罫引きなどの普通に使う計測具は全て持っています。でも私が日本で会った多くの伝統的な船大工のように近代的な巻き尺は使いません(私は持っていましたが)。長いものを計るときには自家製の木の定規を使っています。それは幾つもあって一番長いのは六尺です。短いほうの定規の幾つかには小さな角材が端に釘留めされていて、船体に渡して反対側の舷側に引っ掛けられるようになっています。新しいのと伝統的なのと両方の墨つぼがあります。仕事場には前に作ったサバニのあらゆる種類の切れ端が多く置いてあります、下門さんはそれらをラベルを張って保存して、仕事を再点検するときの型として使っています。
デザイン
今日の日本においては、舟の寸法を測る標準的な方法は西洋で発達した造船学の原理に基づいています。これらの方法は船体を均等な間隔に分ける幾つかの定点を取り、それぞれの位置での断面の寸法を記録すると言うものです。寸法はベースライン(基線)と呼ばれる一定の位置から測定されます。そしてこの寸法はオフセットテーブルと呼ばれる表に記録され、その表を用いて船舶設計家や船大工は舟の型を決める線を再現する事が出来るのです。
西洋では通常、作り手はキールの上にセットされる仮の木型を作ります。それから舷側板をこの木型に沿って曲げていきます。船体が作られた後この木型は取り除かれます。日本の船大工たちは木型は使いませんが、やはりそれぞれの定点での断面寸法に合わせて舷側板を曲げ、形をチェックします。本州の船大工達は通常は三カ所ほどの断面寸法を用います。まず船首から一定の距離後ろに離れた箇所、次に船尾から一定の距離前に離れた箇所、そして船体の一番幅の広い箇所です。一般には船首と船尾との定点はそれぞれ水押(ステム)と戸板(トランサム)から測って等距離に取られます。
定点ごとの断面寸法は底板(敷き)の形を決めるのに必要な情報を与えます。和船の場合では下棚や上棚の幅や角度も分かります。私の二番目、三番目そして四番目の先生達も皆この方法を使っていました。そして私は下門さんも同じような事をすると思っていました。ところがその代わりに、私は彼が最初に出会った日に言った事を改めて確認する事になったのです。
「サバニは和船ではありません、サバニはサバニです。」
舟の各幅の寸法はそれぞれの位置で一連の組にして取ってあるのですが、多くの場合船形の大本は舟の横を形作る二つの舷側板が実際にどんな形であるかによって決定されます。下門さんがサバニを作る基本的な順序をならべてみると:1 舷側板になる板材を形にあわせて切る。2 その材を適した幅を持たせて船体の形に曲げる。3 その材に底部を合わせる。 となるでしょう。
その工程は他の日本の舟とは全く異なります。さらに言えば日本の舟は上向きに作られますがサバニは上面を下にして作られます。
最初の頃は記憶と目測とで舷側板の形を割り付けていた、と下門さんは言いました。幸運な事に、後にレース用のサバニを作るようになってから、彼は大まかなスケッチを描いて重要な箇所の寸法を記録し、また、様々な舷側板の実寸型を作るようになりました。薄いベニヤ板にスケッチを描いて型を作ったのです。この資料をコピーして、彼の書いた注意書きを私がちゃんと理解しているか下門さんに確かめる事が、私のもっとも重要な仕事の一つとなりました。彼は舷側板の角度の型も作っていました。それでも舟の多くの細部は彼の記憶の中にあるだけでした。あるとき、私たちが彼の型を詳しく見ていたときに、説明しようとして一息ついて微笑みながら彼は言いました。「サバニはおかしいね」私の辞書ではこの形容詞は「変な、面白い、楽しい、法外な」などと定義されています。舟の事をそんな風に表現されたのは初めてでした。
材料
最も初期の掘り抜き作りのサバニは沖縄原産の松材で作られていたと言われています。しかしながら沖縄の森林が失われ船大工達は材量を九州から入手しなければならないようになりました。それは杉材で、遠く北の瀬戸内海の船大工までもが賞賛している宮崎の杉が特に使われました。下門さんは使う材を飫肥杉、またはベンコウ杉と呼んでいました。飫肥杉の名前は宮崎県の今は日南と呼ばれている地方の大名の名前(飫肥藩)に由来します。ベンコウ杉は材の両面をはつって(太鼓落とし)にした材です。宮崎の杉は軽く曲げやすく、しかも大変強いという評判があります。
サバニを作るのには二本の丸木が必要です。大きなほうは二尺六寸半の直径で、下門さんはそれを二寸厚の板目に挽かせました。もう一つの小さめの丸木は半分に割られて底用の材となりました。切った材は元の丸木と同じ順序に重ねられて到着し、その中から下門さんは真ん中の二つの材は使用しないで(一番幅のある部分ですが)そのちょうど次の両側二つの材を取りました。左右対称な材を使う事は私の他の先生達も同じ様にしていたので、この事については私は質問しなかったのですが、下門さんは後になって材を曲げる時に説明してくれました。材がどんな厚さでも、同じような径に曲がる事が左右対称な船体を作るのに大事であり。丸木から左右対称に取った材を使えば、その材は同じような木目を持つだろうし、理論的には同じ曲線に曲がるはずであろうと。
舟の舷側板を張る時は木芯側の面が舟の外側になるように配置しました。このように揃えると舷側板が張り出ししてくるからだと下門さんは言いました。シラタの部分を出来るだけ少なくするように努めました、なぜならアカミに比べてより腐りやすいからです。また全ての材の根元側を船首の方向へと向けて使ったほうがいいと指摘しました。西洋では船大工達はしばしば、木の根元のほうが自然と広がっているのを舷側板の曲がりに併せて使う事があります。でも下門さんが言うには、理由はサイズではなくって、強度なのだと、すなわち舟が波に打たれたときには、根元を使っていたほうがより衝撃を吸収できるからということでした。二本の丸太の残った部分は、七メートル長の二艘目のサバニを作るのに充分だし、五メートルほどの三艘目を作る分もあるかもしれない、と下門さんは話していました。
他に使った沖縄産の木は船梁用の沖縄松、フゥンドゥと言う留め具につかうイヌマキ(チャゲとも呼ばれています)、それから櫂を作るモッコク(モッコケンと呼ばれています)です。宮崎の材木屋が竹釘用の大きな孟宗竹を送ってきました。材料は乾き切ってはいませんでした。一年ほど天然乾燥させた杉材があったらよかったのに、と下門さんは言ってました。そしてその理由の一つとして、留め具のほかにも各部分に接着剤を使うことをあげていました。私たちの使った接着剤を彼は「ボンド」と呼んでいました。それは日本ではある接着剤の商品名になっています。私たちが使ったのはそれとは違ってアイカ工業製のユリア樹脂系のものでした。大きな隙間を埋めるときにはサンダーできたおがくずを接着剤のなかに混ぜて濃い糊状にして使っていました。
大豆原料の普通の食用油をフンドゥや竹釘の潤滑油として使いました。ほぞを切っている時は鑿をこの油に浸しました。昔は下門さんはサメの油を使いました。私たちはサバニを天ぷら油で塗り、ちょうど完成したときに少量のサメの油が貰える事となり、それが舟の最終の仕上げ塗りとなりました。
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船大工はこの定点の事を普通は等分、まれに横墨と呼んでいます。
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最初の先生からたらい舟の制作法を習ったときは、船を作ると言うより、ほとんどは伝統的な樽の作り方の習得でした。
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1997年に九州宮崎の五ヶ瀬川最後の船大工の話を聞きました。私がその有名な宮崎杉を使っているのかと聞くと、彼の答えは「いや沖縄の連中が一番いい材を買っていくんだよ」との事でした。一番大きな材の話になると、「神社が大きい木を全部持ってってしまう」と下門さんは苦情を言ってました。
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実際の所は木の板は普通は年輪の反対、中心とは逆方向に反るものです。従って下門さんの説明はおかしいのですが、その時はそんな事は考えていなくって、そのあともこの事で話することはありませんでした。
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モッコクはクレイェラの和名です。イヌマキはブッディストパイン(仏松)として英国では知られています。いまではクサマキと呼ばれる事が多くなっています。
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舷側板を曲げるときに熱湯をかけるのですが接着剤がはがれることはありませんでした。この手法では制作者は熱に耐える接着剤を選ぶ必要があります。例えば、エポキシなどは高温ではかなり弱くなり、この使用環境では不適切だと思われます。