クワクワ(グワグワ)
伊江島の方言では舟底の船首と船尾の端を形作る小さな木材の事をクワクワ(グワグワと発音されています)と呼んでいます。「ちいさなもの」と言う意味です。舟底とクワクワとの接合部はその面がわずかにV型をしている事を除けば基本的には平らな突き合わせです。富雄さんは後ろの部分に取りかかり、彼の父親は前の部分を合わせていました。両人とも舷側板の端が完全に真っ直ぐで同じ角度になっているかを確認する事から始めました。ここがしっかり出来ていれば合わせる事がかなり楽になります。ほとんどの作業は突き合わせになるからです。下門さんはかすがいを四つ打ち込んでクワクワを舟底にしっかりと固定し、新しい横挽き鋸で継ぎ目のスリノコにかかりました。とても窮屈な場所で、鋸を継ぎ目の中央に入れてから最初は下向きに挽き、次には逆にして上向きに挽きました。一時間も立たないうちに富雄さんは後ろのクワクワを合わせました。下門さんは舳先でゆっくり作業していました。
下門さんは合わせに納得してから、クワクワを取って仕事場の入り口に立てかけました。そして金槌の丸みのある方の面で継ぎ目をたたき始めました。中央部から始め、尖った中央部分を避けながら、木口の部分に深い窪みを作っていきました。縁に近づくに連れて木を割らないように注意深くたたき、継ぎ目の面全てに渡っておよそ一分ほど木を圧縮しました。仕上げには金槌の平らな面を使って今出来た粗い面を大まかに整え、最後にカンナを使って表面をさらに滑らかにしました。昔は舟底も金槌でたたいたものだけど、もう手が疲れたし、片面をたたいておくので充分だと彼は私に語りました。
下門さんはこの技法を「ちぐちあーし」と呼んでいました(ちぐちは「断面」あーしは、彼は「合わせ」をそう発音します。「一緒にする」と言う意味です)この技法は様々の形で日本の船大工達にはよく知られています。私の二番目の先生は最初にこの技法を教えてくれたのですが、彼はそれを「キゴロシ」と呼んでいました。それは「木」と「殺す」と言う言葉を合わせたものです。材端を擦り合せして準備したあとで、合わせる端の面が金槌でたたかれ、木の繊維が圧縮されます。ひとたび材が合わせられたときには、これらの繊維は膨張し、二つの圧縮されたバネのようにお互いを押しあい、合わさった材をより密着させるのです。
サバニの場合クワクワの木口にはあまり戻り返しがないようにも見えます。でも下門さんは私の前の先生より遥かに沢山この材をたたいていました。材が元に戻され合わされてから、彼はもう一度スリノコを行い六回鋸を通しました。それから濃くした接着剤をこの接合箇所に、また舷側板の継ぎ目に沿って塗り拡げ、かすがいを内側と外側とに打ってクワクワを定位置に固定しました。
クワクワを留めるフゥンドゥは前に比べればすこし狭く、およそ八寸間隔で配置され、七分の深さに嵌め込まれました。またクワクワと舟底の継ぎ目にもフゥンドゥを配置し竹釘を挿入しました。私はこのとき下門さんにサバニの製作は接着剤だけで充分だと思うのか聞いてみました。私の前の先生達の幾人かも接着剤を使っていました。でも彼らが言うのには、それは主に継ぎ目を密に閉じて水が漏れないようにするための物でした。そして下門さんと同じように伝統的な留め具も合わせて使っていました。私の予想に反して下門さんはサバニは接着剤だけでも作れるだろうと認めました、でも試した見ようと思った事はないと。そして笑って言いました。「隙間から光が漏れていたら昔はサメの肝油で塞いだものだ」と。
私としては、サバニは接着剤だけで作るのには問題の多い舟だと思います。材はあまりにも大きいので木の内側の張力は板張りの舟より遥かに大きなものとなるからです。大きな材が季節で収縮したり、膨張したりすれば接着した継ぎ目は簡単に剥がれてしまいます。帆走用の綱などから来る船体をねじる力も同じです。また、接着剤はクワクワのような木口の継ぎ目では剥離しやすいのです。
次の日接着剤が乾いてから、下門さんと息子さんはクワクワを成形しました。前部ではこの材は前戸立の基部までずっと延びています。とても古いサバニでは舷側板自体が実際に合わさっていて、クワクワは舳先まで延びてはいなかったと下門さんは言ってました。彼が言うには、舷側板はあまりに薄くって壊れやすく、これは本質的に弱い構造であって、クワクワこそが舳先の基部で強い材の部分を作ると言う事です
この前部のクワクワの所で、私はこのサバニ製作中で最も深刻な失敗をしてしまいました。フゥンドゥを入れるほぞを切る場所を作ろうとして、私は材を鑿で削りすぎたのです。下門さんはその日の終わりに私の間違いに気づいて動転していました、もう私は意気消沈するばかりでした。その日の仕事は終わり、私がホテルに帰る準備をしているときに下門さんは「大丈夫だよ」と最後に言葉をかけてくれました。
その夕に私は旅館の主人と今日の出来事について話していました。彼はヤマチチャンと言う大事な伊江島方言を教えてくれました。その文字通りの意味は「山を切る」と言う事です。グスクヤマは伊江島でただ一つの山です。島の中心にあって、島のどこからでも見ることができます。斜面を半分ほど上がった所にある泉は昔から島で唯一の真水の水源です。そのグスクヤマが霊的な力の中心と思われているのは驚くまでもないことです。山を切るのはとてもとても大きな間違いなのです。
新しい言葉が記憶の中に焼き付く決定的な場面と言うものがあります。次の日、いつものように下門さんより三十分ほど早く仕事場に来て、その日の作業に備えて準備を整えていました。少し時間を取って、私が失敗したほぞをよくよく眺めて、修正の幾つかのアイデアをスケッチしたりもしていました。下門さんがむっつりとした表情で入ってきて、そのまま船首へときて座り込みました。私は失敗についてまた謝りました、でも彼はただ手を振るだけでした。しばらくたってから、クワクワは少し小さくなるけど、全て大丈夫だよ、と彼は言ってくれました。私は小声で「ヤマチチャン」とつぶやきました。
下門さんは私のほうを見て急に笑い出しました。「ヤマチチャン? それ分かってるの?」彼が聞き私はほぞを指し示して「はい、これはヤマチチャン」と答えました。下門さんは沖縄の歴史に強く誇りを持っていて、どんな言葉でも、地元の言葉を私が覚えて使うと喜ぶのでした。その日はずっと、仕事場に来る人みんなに彼は私が言った事の話をしていました。それは奥さんと一緒の昼食時の唯一の話題でもありました。さらに重要な事には、それが仕事場を覆っていた暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれたと言う事です、私には本当にありがたい事でした。下門さんは一人笑いをしながら船首を削り少し狭くして、私の間違いの後が消え去るようにしていました。
前にも書いたように、西洋の舟や日本の舟(和船)は一般的に部品を決まった大きさに合わせて製材し、それを組立てるという工程を含みます。そして、私はこの失敗を考えている内に、サバニ制作の即興演奏面の良さのようなものが分かるようになってきました。材料は大きく、ほとんどの作業は成形作業を含みます、下門さんが自分の作った百艘あまりのサバニについて言っていた事は真実なのです「どれ一つとして似ていない」。たとえば、後部のクワクワをカンナで削るときにも、船体が底部から船尾へと移り変わっていく部分を下門さんは完全に目だけをたよりに成形し、図面通りには作っていません。むしろ材料、特に白太の量や、彼自身の感覚での善し悪しを考慮に入れて作っていました。材料の厚さは制作者に途方もないほどの融通性を与えます。失敗は許容できます。なぜなら修正するに充分な材料があるからです。失敗を犯して始めて私はこの事を全面的に高く評価する事が出来るようになりました。
舟をひっくり返す準備として私たちは船体を百番のサンドペーパで仕上げ、外側に大豆原料の天ぷら油を塗りました。杉材は油を速く吸い込んだので日の暮れるまでに二度目の塗りをすることができました。どれくらいの量の油を使うのですかと下門さんに尋ねたところ、木が油を吸いこまなくなるまでと答えが返ってきました。昔はサメの油を使っていて、漁師達は年に三、四回は舟に油を塗ったのだそうです。サメの油は太陽の光に当たって完全に黒い色になります。またそれはかなりな臭いがします。今使ったらまず近所の良い評判は得られないだろうね、と言って下門さんは笑っていました。
次の日、私たちは二つ目のチェーンブロックを調整して、二本のスリングで船体を吊り上げました。私がこの瞬間を撮ろうとカメラを準備している間に、下門さんは舟の底に天ぷら油をもうひと塗りしました。下門さんはこの瞬間の事を「舟の誕生」と言ったので、私はたとえ数時間かかろうとも、この瞬間を見落としたくはありませんでした。舟をひっくり返すのは時間のかかる慎重な工程なのだときっと心の奥で思っていたのです。富雄さんは私のほうを見て、「カメラの準備は大丈夫?」と言いました。はいと答えて私は写真を撮り始めました。富雄さんは振り返りサバニの舷側を引き上げました。油で濡れた船体はキャンバス地のスリングを簡単に滑って、数秒のうちに舟はひっくり返されて空中に吊り下げられ、静かに揺れていました。私たちは床の上に置いた二つの厚い角材の上に船体を降ろしました。
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私のたらい舟の先生までもこの種の技法を使っていました。たらい舟の側面の板をカンナで合わせる時、接合面の真ん中にほんの少し隙間が空くようにします。そうしておくとタガが嵌められた時は側面材の上端と下端が一番きつく締め付けられます。底の部分はもちろんたらい舟の吃水になるところです。材をたたいているわけではないのですが、それでも先生はこの技法を「コロス」と言っていました。
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特に油の底にたまった澱は濃くってこの目的には良いと彼は言っていました。