底部を合わせる
次の日に私たちは底からクランプやかすがいをを外しました。私にとっては仕事が始まってから二十二日目です。その後、下門さんは底の外形を作るためにカンナで削り取る部分の大まかな輪郭線を描きました。私たちは電気カンナで底を斜めに大まかに削りはじめました。下門さんは合わせ目のフゥンドゥを入れる場所に印を付け、私は材をもう一度木挽き台へ戻す準備を始めました。フゥンドゥの間隔は舷側板と同様にそれぞれ一尺で、節があれば節を避けて切り込まれます。内側と外側のフゥンドゥのちょうど間に竹釘の穴が空けられます。従って竹釘の中心は五寸間隔に置かれる事になります。釘穴は三分ほどの深さに空けられ、脇材から中心の材へと、樹皮側を底材に面して打ち込まれます。ほぞを切って全てのフンドゥと竹釘を嵌め込むのには下門さんと私とで二時間半かかりました。
次の日、下門さんはディスクグラインダーを使ってマストステップを成形していました。一方私は丸カンナで底材の内側を刳り貫いていました。埃で息が出来ないほどだったので私は白い外科用のマスクを付けなければなりませんでした。日本中どこにでも手に入るマスクです。ディスクグラインダーの埃が酷い事は下門さんも感じていました。眼鏡のせいでマスクがかけられないのは困った事だと彼は言っていました。仕事場の扇風機で風をまわすことを、私はそれとなく提案してみたのですが、ご近所にほこりで迷惑をかけたくないのでだめと彼は言いました。
底材の厚さを見て底部が対称に刳り貫かれているかをチェックするために、下門さんは定規を底に横向きに置いて、外側の縁からそれぞれ五分入った所から下に向けて底までの深さを測りました。底回り全てに亘って一尺間隔でこのチェックを行い、一方の側がおよそ二、三分他方より高い事を見つけました。私たちは両側が均一になるまでカンナがけしてサンドペーパーで磨きました。手でかけるカンナだからといって電動工具に比べてそんなに遅くはありませんし、そのほうが確かに安全なのです。仕事をしながら、下門さんはカンナとチョウナ(彼は手斧と呼んでいる)だけでサバニを作った思い出をまた楽しそうに語ってくれました。
ほとんど底材が仕上がってから外側の留め具の間に内側のフゥンドゥの位置を割り付けました。底材のフゥンドゥは九分の深さに嵌め込まれました。ほぞの深さをとても注意深く測らねばならなかった舷側板の時と違って、ここでは充分な材の厚みがありました。
留め具が取り付けられてから、私たちは底材を船体の上に持っていき注意深く上に置きました。四隅に小さなくさびを配置しました。底材を組立てる前は全て完全に合っていたのですが、また材の形がすこし変わっていて、合わせ目には小さな隙間が出来ていました。これは想定内の事で下門さんは朝から大きな手鋸を研いでいました。それを富雄さんが手に取り、合わせ目を挽き始めました。この部分では合わせ目は斜めになっていて鋸を持つのがより難しいうえに、舷側板の木目と底材の木目とは違う方向に走っているのです。これはとりわけスリノコには一番難しい場所です。というのも木目に逆らって鋸を挽くとき、木は鋸を合わせ目の外へ押し出す傾向があるからです。その上に底材の鋸に当る面は舷側板の縁より広く、この事が鋸を一方へと押しやってしまいます。長い経験を積んでいるにも関わらず、下門さんはしばしば休みを取り、床に屈んで舟の内側を念入りに見て進み具合を調べていました。卒中にかかったせいで片方の脚はほとんど麻痺しています。舟の下に潜り込んでまた出てくるのは遅く、不安定なものでした。下門さんは二回足下に倒れました。
ここで私はスリノコで失敗しました。富雄さんもミスを犯しました。下門さんでさえミスを犯しました、でも彼のは一番些細な失敗で、すぐに気づいて修正してしまいました。またもや、ゆっくり、丹精に作業しないと行けないと彼は強調しました。力を使って鋸を挽くのはだめです。切り口が固いのならくさびですこし開くほうがいいのです。楽に挽ける所では刃を側材に対して直角に立て、難しい所では斜めにして挽いている事に私は気がつきました。舟の片側に一回目の鋸通しをするには四十分かかりました
翌日いっぱいかけて、下門さんは大きな鋸で合わせ目を挽きました。時折鋸に油を塗りながら作業を続け、そして昼頃には明らかに疲れていました。私はただ横に立っているか、あるいは舟の下に入って合わせ目の様子を彼に知らせているだけでした。ある時点で、意を決して、私に作業を変わってすこし休んだらどうですかと聞いてみました。かれは手を振って「これはサバニ作りの一番難しい所だから、私がしなければ」といいました。かれは工程のうちでこの段階を「心配な時」と呼びました。そうだろうとも思いました、当然の事です。どうあろうと、彼が私を知ってから四週間しかないのです。多くの他の作業では彼は私を信頼してくれましたが、この作業に付いてはまだその時ではありません。「ゆっくりどうぞ」なのでしょう。
その日の終わりに、合わせ目はうまく出来たと彼は言いました。そして次の日に、私たちは小さめの目の細かい鋸で最終調整をする事になりました。この最終調整はおよそ一時間かかりました、そして底材を舷側板にくっつける接着剤を準備することになったのです。下門さん、奥さん、娘さん、富雄さんの息子さん、その他の親戚や私自身、皆仕事に加わって、接着剤を塗り延ばしました。下門さんが接着剤に硬化剤を混ぜたので両面に大急ぎで接着剤を塗り拡げないといけなかったのです。下門さんは自分用の接着剤に細かいおがくずを混ぜて船体の欠けた所を埋めました。私たちは底材を船体の上に置きました、フンドゥの配置に気を付けて間に来るように確認しながら、合わせ目の内側と外側から富雄さんがかすがいを打ち付けました。他の人たちは接合部からはみ出してくる接着剤をすべて取り除こうと最善の努力をしていました。始まってから二十分以内に接着剤は固まり始めました。
舷側板の底の部分は真ん中の部分では長い曲線になっています、それは曲がり角の部分でおわり、船首と船尾へと直線で続いています。底材の終端部はちょうどこの曲がり角で切れています。接着剤を使わなかった頃は、下門さんはまず底材と舷側板とを竹釘で留めていました。これがフゥンドゥのほぞを切っている間、底材を保持します。そうしなければ鑿を金槌でたたく事で底材が動いてしまいます。今回私たちが行った場合では接着剤で全てを留めたので竹釘は最後に入る事になりました。まず三十八個のフンドゥが船体の外側から底材を舷側板へしっかりと固定しました。最初に底材の舷側板に覆いかぶさっている部分を鑿で取り去り、舷側板と同一平面にして留め具のほぞを開けるられようにしました。鑿の打ち込みで船体が動く事がないように、下門さんと私はそれぞれ舟の反対側から作業しました。合わせ目に近い位置のターンバックルをいくつか外しました。下門さんは他の場所ではターンバックルや他の締め具などを出来る限り外さないでそのままにしておきたいと言いました。竹釘の穴がフンドゥより一寸上の点から舷側板へと、急な角度で三寸ほどの深さにドリルであけられました。
午後に合わせ目を留める頃には、いつも富雄さんが仕事場にいるのですが、この日は不在でした。下門さんと私とは反対側の角から作業を始めました。彼は鑿を右手で持ちあげ、右手を使って指を持ち手に沿わせ、不自由なほうの左手に握らせ、右手を使って左手を動かし鑿を正しく当てがい、金槌を取って鑿を打ち始めるのです。時折、三、四回もたたくと鑿が外れて床に落ちたりもします。ゆっくりと彼は屈んでそれを拾い、また同じ工程を始めるのです。私たちはこんな感じで一日中フゥンドゥを取り付けていました。彼は一度も不平を口にしませんでしたし、何の不満の表情も示しませんでした。
底材がしっかり固定されて下門さんは注意深く形をチェックし、新しい中心線を底材の上に描きました。底部は、前端から始まって後端から二尺のところまで平にしたいと言いました。前に作ったサバニの端材を使ってチェックしたサイズです。底材は厚かったので、後ろの部分がすこし上がるように彼はカンナをかけました。片側づつほんの少し材を取り除き、中央部が角の部分より二分ほど高くなるようにしました。底がより平らなほうが舟の安定がいいと彼は感じていましたが、顧客が自分の望む形を言ってくるものだったとも彼は言いました。昔はサバニは丸底に作ることが多くありました、漁師達は嵐を乗り切るためにわざとサバニを倒したりする事があったからです。
下門さんは多くのめずらしい話を私に話してくれました。でも、おそらく一番驚くのは彼の父親の話です。父親はかって四メートルのサメをしとめたのですが、舟に持ち上げることができなくって、どうしたかと言うと、舟をいったん沈めてサメの下に持ってきて、舟から水を掻い出して、サメを舟に載せ、そして帆をあげて家に帰ったのです。
私たちが作っているような八メートルのサバニはどんな海でも大丈夫だと下門さんは主張します。高いトランサムのために大きな後波がきても安全だと。彼の父親の年代は卓越したセイリング技術を持っていたと彼が固く思っている事も明らかです。私は彼を信じます。今日の基準から見ればサバニは信じられないくらい不安定です。あるとき彼は縁が丸くなったセイルの図面を見せてくれて(多くのサバニの帆は縁がまっすぐです)これは彼の父親の発明なのだと誇らしげに語っていました。彼が子供の頃、漁師達はサバニに漁獲物をいっぱい乗せて何マイルも離れた那覇の市場へと定期的に行き来していたのです。今日のサバニレースに出るチームの少なくとも半数以上は帆を張るために(転倒しにくい)アウトリガーを装着しています。最も優れたサバニレーサーの一人は私に言いました「私たちは昔の船乗りの知識のほんの一部も知らないに等しい」と。
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サバニを作ろうとしている人にはカンナの使い方を習っておく事を薦めます。病気のせいで下門さんはディスクグラインダーに頼るを得なくなったわけですが、決して木埃を吸う事の健康への危険性を軽く思ってはいけません。ディスクグラインダーを使用するときは最低限でも防塵マスクか安全マスクを着用する必要があります。手斧は文字通りハンドアックスの事です。
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一人でサバニを作っていたときは大きな鏡を舟の下に置いて仕事をチェックしていたと私に話していました。奥さんが一緒に仕事をするようになってからは彼女が舟の下に入りました。今回私が果たした役回りです。でも私が見ているのにも関わらず下門さんは仕事を自分でチェックするのをやめませんでした。
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底部は縦方向におおよそ平坦であると言う事は下門さんには何の疑いもない事でした。サバニの底の窪みのようなものは全く聞いた事もありません。
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デザインを巡る船大工と顧客とのこの種の共同作業は日本で話した多くの船大工達からも聞いた事です。舟のデザインに於いて漁師達がとても重要な役割を果たしていた事は疑いありません。