内部構造・船梁
サバニの船縁は二つの部分からできています。舷側板の上端内面に沿って延びているウチウチキヤアーと呼ばれる杉で出来た内側の部分、そしてタナウチキヤアーと呼ばれる舷側板の上面に沿う部分です。
下門さんは最初、舟に定規を渡して縁の通りを確かめ、不揃いな部分をカンナで修正しました。内側の船縁材(ウチウチキヤアー)は八分の一寸半角で、私たちはそれを残りの杉材から製材しました。。取り付けは二つの部材のそれぞれの端を船首と船尾に合わせ、真ん中へと持っていきます。そこで両方の部材の端を重ね合わせ、その場所に保持してまとめて斜めに鋸で切りとおしました。ほんのすこしだけスリノコを通して、きっちりと合わせます。私たちは七センチのステンレスのスクリュー釘を用いてウチキヤーを固定しました。ボートに使われた金物はこの釘と船梁の固定に使った数本のステンレスねじが全てです。ウチウチキヤーの釘は斜めに打たなければなりませんでした。でないと釘が舷側板の外に出てしまうからです。釘の頭は埋め込んで、パテで埋めました。
エンジンを積んだサバニでは幾つもの大きな肋材が船体を支えるのに使われていました。でも私たちの舟では一連の船梁が全体の構造を形作っていました。それは船縁に被せて付けられた三つの大きな梁、船縁材の下に付けられた二つの小さな梁、そして一本は船尾の方の梁の下に、もう一本は船尾の戸立の前面を横切って取り付けられた三分径のブロンズの丸棒からなっていました。
船首部と船尾部の船体が一番狭い部分にある2つの大きな梁を下門さんは「ヤフクワ」(かれはヤフグワと発音していました)と呼んでいました。前部のヤフクワは大きなサバニが二本マストであった時代の残存物で、そのころは小さい前部マストがこの梁を貫通するようになっていました。後部のヤフクワではその真下にブロンズの丸棒が通してありますが、これは船体の外側に大きなワッシャーを付けてボルト留めしてあり、基本的には船体を一番狭い箇所で引き締めるものです。この丸棒とヤフクワとは一緒に銅の線で巻いて固定されています。
中央でマストを保持する梁はマツカキと呼ばれています。下門さんはこれを沖縄松の部材から作りました。この薄い黄色をした木材はとても堅く重いものです。そして沖縄ではまだ入手可能です。大きなエンジン付きのサバニの曲がった肋材は沖縄松で出来ていたと下門さんは私に言いました。その曲がった肋材は木の自然に曲がった所を挽いて作られていました。昔なら主な構造物は三つとも松で作られていたのでしょう。でもこのときは、下門さんがセンダイギリと呼んでいる沖縄桐がすこしあったので、前部のヤフクワを作るのに使いました。後部のヤフクワはチャゲで作られました。私たちがフゥンドゥを作った木でもあります。ヤフクワは両方ともウチウチキヤーと舷側板に切り込みを入れて取り付けられ、ステンレスのネジで船縁へと固定されました。
マツカキはより複雑な継ぎ方で取り付けられました。この梁は舟の横より外に出ていて、下門さんは梁に船縁とかみ合うように落とし込むための切り目を入れました。全て梁の配置は船首や船尾からそれぞれの船縁に沿って距離を測って決められました。たとえば、マツカキを例にとってみると、その前面は船首戸立の上の角から5尺4寸下がった所に置かれています。梁が合わされてから、下門さんは舷側板に重なる場所で梁の上面に溝を切りました。この溝の底から舷側板へとねじを入れて、そのあとは細い硬木材で溝を塞ぎました。この木は船体にあけた穴に銅線を通して結び止められました。
タナウチキヤアーはアペトング、インドネシアの硬木です。外側の面は舟に揃えて斜めにカンナをかけられました。そのため上端の縁は舷側板より外に出て、効果的に船体を保護する固い縁を形成しています。その主な機能は漕ぎ手が固い木の櫂で杉の舷側板を痛めないようにするためだと下門さんは言ってました。また昔はタナウチキヤアーには沖縄の硬木を使ったと言っていました。タナウチキヤアーはもっと小さく、ただ木の半丸材で、船体には小さな竹釘で留められていたということです。両舷共に二つの部材から作られていて、船尾から来てマツカキに当るものと、マツカキから船首までのものとで出来ています。
二つの小さな梁はハイキとハリアイキと呼ばれています。ハイキは大きなほうでマツカキのちょうど後ろに位置します。この杉材の梁はほんの少しばかり真ん中が上がった形状になっていて。(二尺三寸の長さで二分上がっています)両端の部分では二つの硬木の受け木にほぞを切って留められています。受け木はサシカザンとウチキヤーとにそれぞれほぞを切られて垂直に留められています。受け木はチャゲで作られています。ハイキは舟の片方のほぞに挿入されたあと、他方のすこし長くしてあるほぞに落とし込まれます。四角の留め木がほぞを埋めて梁を定位置に固定します。下門さんはここでも組立てる前に全てのほぞに接着剤を付けていました。
次の小さめの梁はハリアイキと呼ばれています。地元の言葉で「一時的な梁」と言う意味です。この梁は舟にほぞ留めしないのだと事を下門さんは注意しました。両端はきっちり船体に合うように角度が付けられていて、ウチキヤーのちょうど下の所で船体に割りこませ、舷側板に釘で付けられた小さな杉の部材で定位置に支えられています。この梁は舟が新しいときにのみ必要なもので、ひとたび舷側板がその形に落ち着いたら取り外してもいいものだ、と言う事です。(それにどの程度の時間が必要なのかは聞くことができませんでした)また、昔のサバニではただ竹を内側に割り込ませただけで固定されてなかった事もある。とも言っていました。
船首と船尾のの外端用の船縁材にはアペトンを使いました。これはステンレス釘で固定され舟の壊れやすい角を保護します。下門さんはこれらをタクワサーと呼んでいました。最後に残ったおよそ六尺ほどのアペトンは舟の船首部の底にねじ留めされて、砂浜に上げたときに船体を守るものとなりました。下門さんはこれをカーラと呼んでいました。
下門さんと息子さんが船体の様々な細かい仕上げ部分にかかっている間、私はサシカと呼ばれている床板を作っていました。それぞれの床板は二つないし三つの杉材で出来ており、舷側板を彫り込んで作られたサシカザンの上に船体を横切る方向に置かれます、そして材の下側を横切る形で一対の杉のクリートが釘で留めてありました。この材は七分の厚さでした。下門さんは私に木の芯にあたるほうが上になるようにと言いました。また彼は、昔はサバニの床板は竹を集めて編んだだけのものだったとも言っていました。竹の上に座るのは大変居心地よくないものだったそうですが、漁師達には座ってる時間はほとんどなかったそうです。
下門さんは杉で「アタリ」と呼んでいる小さな部材を作りました。私たちはそれをウチキャーに小さな釘で留めました。部材の縁をとても特徴ある仕方で作っていたので、これらはタナウチキヤーや梁の両端部を保護する目的なのだと私は気づきました。富雄さんも船首と船尾の両戸立を覆う杉の蓋を作っていました。
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前部のマストは前に傾いています。そしてメインセイルのおよそ三分の一のセイルを受けます。二本マストのサバニでセイリングした事のある人はもういないと下門さんははっきりと言っていました。
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桐は日本では家具などに使われ、よく知られた木です。西洋ではポロウニアの名で知られています。
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全く同じラッシングの技法を博物館のコレクションの古いサバニでも見かけました。もちろんこれらの制作者達にはステンレスのねじはありません。下門さんは主として新しい留め具を使いながら、それを伝統的な手法で覆い隠しているわけです。
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この材はなんと言う名ですかと下門さんに聞いたのですが、名前は知らないとの事でした。あとからハイキアテとでも呼ぶのが適当かなと思ったそうです。